「・・・えっ?」
「・・・ほ、鳳明さま・・・」
『凶夜の遺産』、その言葉を聞いて暫くは、俺と沙貴は呆然となって次の言葉が告げられなかった。
そして鳳明さんも答えを急かす事はせずに、俺達が落ち着くのを待っていた。
やがて俺がようやく落ち着きを取り戻し、
「鳳明さん、一体何なのですか?その『凶夜の遺産』と言うのは?」
そう尋ねると、沙貴も落ち着いてきたのか、
「鳳明さま、私もその様な事は初耳です。しっかりとご説明してください」
「ああ、判っている。最初にいきなり結論から言ったのもお前達が混乱するのを防ぐ為だからな。じゃあ、まずは・・・志貴」
「はい」
「お前は『凶夜』の烙印を押された物がどの様な運命を辿るか・・・知っているな」
「ええ・・・この世から命も名も、ありとあらゆるその者の存在を標したものが消去され歴史から完全に抹殺されます」
「そうだ。次に沙貴、お前に聞くが、全てを抹消されたと言っても消去出来ないものが二つある。それはなにか?」
「それはその『凶夜』が確かに存在していたと言う事実・・・」
「その通りだ」
「後一つは・・・すみません判りません」
「鳳明さん、それは魂ではないのですか?」
「そうだ」
「確かに魂は普通の殺し方では殺せる訳在りませんから」
「そうだ志貴、お前の持つ『直死の魔眼』は例外中の例外だが・・・魂は殺す事は出来ない。が『凶夜』の魂は死後も七夜よりの迫害を受ける」
「それは・・・」
「魂は何かの媒体が無ければ存在する事は出来ない。七夜の場合この聖堂がその媒体となる。しかし『凶夜』はここに入る事すらも許されない。七夜は『凶夜』の魂すらも消滅させようとする。無論『凶夜』の魂も媒体を求めて彷徨う・・・しかし大半の『凶夜』の魂は媒体を見付ける事は出来ずそのまま消滅してしまう・・・」
「えっ?ですが・・・」
「ああ、俺か?俺も最初は『凶夜』として追放されかけたんだが、先人の魂が・・・俺を救ってくれてな・・・自らを犠牲にしてな」
「・・・」
「話を戻そう・・・しかし・・・その中の者達のごく少数に想像を遥かに越える事態が起こった」
「何なのですか?」
「七夜に殺され、魂となっても尚、迫害を受けた事に対する恨み・憎しみ・悲しみ・怒り・・・ありとあらゆる負の感情が魂を守り、普通の魂が媒体を得た時と同じ位の長き時を生きられる力を得るようになった。そして、その『凶夜』の魂は媒体を得るとその媒体を支配しその代償として媒体は『凶夜』の力を受け継ぐ。それを七夜の魂の中では『凶夜の遺産』と呼ぶ様になった」
「そんな物が・・・」
「存在するなんて・・・」
「こいつは事実だ・・・志貴憶えているか?俺達が、初めて出会った時出現したものを」
「・・・!ま、まさか・・・タイムホールは」
「そう、『凶夜の遺産』の仕業だ。しかも、ごく一部分の力だけだがな」
「・・・」
俺は絶句した。
「しかも厄介な事に、彼らの力はここ数年、強い高まりを見せ始めている。現に七夜の魂は先日『凶夜の遺産』に俺以外は、皆消滅してしまった」
「だから・・・俺達を」
「ああ、『凶夜』には『凶夜』で対抗するしかない。志貴やってくれるか?」
鳳明さんの話が終わると周囲は沈黙した。
しかし、俺の決意は固まっていた。
「・・・鳳明さん、やります。七夜の負の歴史は七夜の手で清算しないと・・・それに哀れじゃないですか、永き時を孤独に生きてきた彼らが・・・」
そう、生きている時は異端の力ゆえに疎まれ、死んでからすらも迫害を受けその結果彼らは、恐ろしい遺産をこの地に残してしまった。
だったら俺達の手でその悪夢の時を終わらせよう。
鳳明さんは俺の顔をまじまじと見た。
その表情は呆れたものではなく、笑みさえ浮かべている。
「志貴、お前らしい言葉だな」
「ありがとうございます」
「それで沙貴・・・」
「私も微力ですが・・・兄様のお力に・・・」
「これで決まったな」
「それで鳳明さん、『凶夜の遺産』は一体いくつあるのですか?」
「六つだ」
「六つの遺産・・・」
「それで志貴、すまんがすぐにノルウェーに飛んでくれないか?」
「えっ?それは、パスポートは今持っていますから大丈夫ですがどうかしたのですか?」
「そこに最初の『凶夜の遺産』、がある。こいつに関しては少し急がないといけなくなった」
「どう言う事です?」
「埋葬機関、知っているな?そいつらが遺産の破壊を開始したんだ」
「えっ?では埋葬機関に任せた・・・」
「そう言う訳にはいかない。遺産は『凶夜』の魂が存在し、尚且つその魂との相性が合えば、幾らでも代わりが存在する。もし埋葬機関がその遺産を破壊してしまったら『凶夜』の魂は代わりの媒体を探すだけだ。そうなったら追跡するのは不可能に等しい。遺産に固定している今しか機会は無い」
「わかりました、しかし、秋葉達には何て言おう・・・こんな事絶対に反対されるに決まっているし・・・」
「嘘を付くしかないだろうな・・・」
「ふう・・・無駄な抵抗かも知れないけどそうするしかないか・・・」
「・・・兄様・・・」
そのような事を言っていると後ろから沙貴が俺に声を掛けた。
心なしか声が冷たいのですが・・・
「どうかした・・・のですか?」
「秋葉と言うのは何処のどちらの方なのですか?」
視線に殺意が感じられる・・・
こんな所は秋葉にそっくりだ。
「鳳明さん・・・言っていなかったのですか?」
「・・・すまん・・・忘れていた。お前の今の現状を沙貴に説明するのを・・・」
「・・・恨みますよ・・・」
俺はそれだけ言うと、涙目になりつつも殺気を漲らせている沙貴に今の俺の事を話し始めた。
ある程度の説明が終わると沙貴は説明しがたい視線を俺に向けると、
「・・・そうなのですか・・・兄様忘れていられるかもしれませんが・・・」
「分かっている。遠野が七夜を滅ぼした張本人だと言う事も・・・でもな沙貴、俺にとって秋葉が大切な妹と言う事実は変わらないんだ。俺にとってお前が初恋の相手だと言う事と同じように・・・」
「兄様・・・」
俺がそう言うと沙貴は頬を紅潮させた。
「・・・そういえば・・・沙貴お前は今までどうしていたんだ?どうやってあの日を生き残った?」
ふと俺は再会したときから感じていた疑問を彼女にぶつけた。
あの日この里は遠野によって完全に包囲されていた。
あそこから逃げ出すなど不可能だ。
「・・・兄様・・・覚えていませんか?里が襲われる二・三日前から私の姿を見なかった事・・・」
「ああ!そうだ、小屋にもいなかったし何処に行ったのか判らなかったから夜中林の中を探し回ったんだ・・・」
「・・・私はもうあの時、里にはいませんでした」
「ええっ!」
「父と母が急に私を里子に出されたのです。本来七夜では里子に出す事は禁じられた事でしたが特別に許可されたと聞きました。もしかしたら・・・こうなる事を予測していたのかもしれません。本当にひっそりと追い出される様に里に出されましたから・・・あの時は父と母を恨みました。何よりも兄様に会えないのが辛かった・・・その内里が襲われ、七夜が滅ぼされたと聞いて私・・・」
そこまで言うとまた目から涙を零しながら、しゃくりあげ始めた。
そして・・・俺に体を預けると安心しきった声で
「でも・・・今日まで生きてきてよかった・・・辛い事が一杯あったけど兄様に会えてよかった・・・兄様ずっと・・・ずっと会いたかった・・・好き・・・大好き兄様・・・一緒にいたい・・・今度は離れない・・・」
「沙貴・・・」
「さて、もういいか?志貴」
「!!」
「!!」
俺は思わず沙貴を抱きしめようとしたが、後ろから鳳明さんの声が聞こえると俺達は今の状況を思い出した。
俺は慌てて沙貴を離し、沙貴にいたってはうなじまで赤く染め俯いてしまった。
「そ、そうですね・・・鳳明さん行きましょう」
「ああ、だがその前に」
「えっ?」
そう言うと鳳明さんは俺の体に何事も無いように入り込んでしまった。
(すまん志貴。俺も一応媒体がないと辛いからな・・・お前の体を借りるぞ・・・その代わり『直死の魔眼』の負担、俺も肩代わりする)
「助かります鳳明さん」
(気にするな。俺もお前達にまかせっきりにも行かないからな・・・すまんが志貴少し疲れたようだ・・・眠らせてもらう・・・向こうに着いたら起こしてくれ・・・)
そう言うと鳳明さんの声は聞こえなくなった。
「さてと・・・沙貴出るか・・・」
「はい」
「おっとその前に・・・」
俺はその前に秋葉達に連絡をとろうと携帯を取り出した。
しかし・・・電波状況が『圏外』と出ている。
「あれ?」
「兄様、この聖堂には始祖の力で波長の力が到達しないのです」
「じゃあ電波も?」
「はい。鳳明さまはそう言われておりました」
「はあーーー・・・しょうがない聖堂から出て連絡をとるか・・・」
「そうですね・・・あ、あの兄様・・・」
そう言うと沙貴はそっと俺に寄り添った。
「沙貴?」
「兄様・・・こうしていたいんです・・・少しでも・・・温もりを感じたいから」
ここまで真っ直ぐに言われると俺も反論できない。
そのままの体勢で俺達は聖堂から外に出た。
「・・・ふう・・・志貴まだ出てこないよー」
「とは言っても、この状況ではどうしようもありませんし・・・」
「志貴様・・・」
「もう我慢できないわ!!兄さんを探しに出ます!」
「お、落ち着いてください秋葉様」
「・・・・・・」
一方遠野家の居間では映像も音も一向に出ない現状に、アルクェイド達は苛立ち始めていた。
そして、秋葉の我慢の限界が達しつつあった時、
「あっ!!・・・」
「どうしたの?レン・・・あーーーーっ!!映像が映ってるーーー!」
「本当ですか?」
「やっと出て来ましたねー」
「まあ兄さんが無事だっただけでも・・・あら翡翠?どうしたの」
「・・・・・・」
やっと映った事に誰もがほっと胸を撫で下ろした中翡翠だけが険しい表情を続けていた。
そう翡翠がいち早く気が付いたのだ。
自分にとって最愛の主人である青年に、ぴったりと寄り添う誰かがいると言う事を。
「・・・」
無言で翡翠がボリュームを上げると、
「・・・から・・・ああ、通じる・・・さっさと連絡をとるか・・・」
そう言うと志貴は携帯を手にどこかに電話をしようとした時、他の全員も見てしまった。
志貴の傍らに恋人同士の様に体を預け、更には腕を組んでいる女性がいるのを・・・
この瞬間、遠野家、いやその周辺の住宅街、もしかしたら三咲町全域かもしれないが・・・空気が凍りついた。
「・・・何?あの女?」
アルクェイドがポツリと呟いた。
と、その時電話が鳴った為琥珀が慌てて取ると
「はいもしもし」
『あっ琥珀さんですか?俺です』
「あら志貴さんじゃないですかーどうかしたのですか?」
『ええ申し訳ありませんが、また仕事が入ってしまったものですから、ちょっと出ないといけなくなってしまいました』
「あら〜そうなんですか〜」
『はい。すみません、こんな事になってしまって・・・』
「あら、良いんですよそんな事、志貴さんもお忙しいのですから〜それで今回はどちらに?」
『ノルウェーです』
「そうですかーでは秋葉様にはその様にお伝えしておきます」
『助かります。じゃあ帰って来たらお土産買ってきますから』
「はい楽しみにしていますよー」
『じゃあそろそろ切ります』
「はい、では志貴さんお気をつけて」
電話が切れると琥珀は仮面の笑みすら付けるのを忘れ、無表情で画面を凝視する。
また他のメンバーも同じ状態だ。
『ふう・・・とりあえずこれで良しと、じゃあ沙貴、行こうか』
『はい・・・志貴兄様』
「な、なななな・・・なんですってーーーーー!!!」
この一言に秋葉がキレタ。
「あ、ああああの女・・・いい根性しているじゃないの・・・ふふふふふふ・・・私の・・・私の兄さんに言うに事欠いて『兄様』ですって?・・・」
秋葉が紅く髪を染め上げぶつぶつ呟いている内に
『なあ・・・沙貴少し離れないか?・・・そのなんだ・・・歩き難いんじゃないか?』
『大丈夫です。それに・・・兄様のお傍をもう離れたくないんです。ずっと・・・ずっとこの日を待っていたから・・・』
「こ、この日ですってーーー!!」
「志貴やっぱり浮気してたのねーーーーー!!」
「し・・・志貴様が・・・志貴様が・・・」
「あららーー志貴さんってやっぱり鬼畜のど外道なんですねー」
「・・・はい・・・」
沙貴の言葉に次々と切れて行く。
翡翠に至ってはもはやこの世の終わりと同じ位の絶望感が体全体を支配していた。
志貴への依存度は顕在的な面では秋葉やアルクェイドには一歩引くが、潜在的な面まで見ると沙貴と同等かもしれないほど翡翠は志貴に心の底から頼り切っている。
それゆえ、志貴に他の恋人がいる(仮定)という事実は翡翠には重すぎた。
「こうしちゃいられないわ!!」
「ええ!即刻七夜君を連行します!!」
「お待ち下さい」
「何で止めるのよ!!妹!」
「そうです!このままだと七夜君が・・・」
「焦る必要はございません。琥珀、兄さんは確かにノルウェーに行かれると言ったのよね」
「はい、そう仰っておりました」
「じゃあ話が早いわね。このまま皆でノルウェーに行ってそこで兄さんに事情を聞くとしましょう。どうせ仕事なんて嘘でしょうから」
「それは面白いですねー」
「そうね・・・面白そう」
「じゃあ、一応聞くわね。賛成の人は?」
全員賛成した。
「じゃあ琥珀、至急チケットを用意して頂戴」
「はい、畏まりましたー」
「ですが、秋葉様。仮に、志貴様の行き先がノルウェーでないとしたら・・・」
「だいじょうーーぶ!!翡翠ちゃんその為にあの発信機があるんですよ。あれは世界規模で居場所をロック出来ちゃうから、志貴さんはもう私達からは」
「逃げられない」
「そういう事ですレンちゃん」
「さてと、じゃあ皆すぐ用意して頂戴。すぐに兄さんの後を追いますから」
「!!・・・」
「?兄様どうかされたのですか?」
「い、いや・・・何かこう、ぞくりと悪寒が・・・」
「まあ!!兄様風邪でも召されたのですか?」
「いや、そうじゃないんだ。なにか・・・逃げられない何かに命を狙われたというのか・・・」
「まあ・・・ご安心ください兄様、その様な愚か者など私が簡単に抹殺いたします」
「お、おい・・・沙貴・・・」
急に感じた悪寒に俺は悪い予感を覚えながら、慌てて沙貴を宥めた。
俺達はあの後直ぐに、ノルウェー行きの航空チケットを入手すると、沙貴が準備をする為に一度沙貴の住んでいると言うアパートに向かった。
そこで俺は凄まじい悪寒を感じたのだ。
「しかし・・・お前らしいと言うのか・・・本当に質素だな」
「はい・・・あまり服とかアクセサリーも預けられた先でも貰えませんでしたから・・・」
沙貴が数日分の着替えと財布そしてパスポートを手にするともうアパート内は空っぽだ。
その様子に俺が思わずそう呟くと沙貴は申し訳無さそうにそう言った。
「でも・・・俺もこれ位がちょうど良いな」
「そうなのですか?遠野の屋敷にいる時はこの部屋以上に広い部屋に住んでいるのでは?」
「まあそうだけどな・・・あそこにはもう3年以上経つんだが未だに慣れないからな」
「そうですよ兄様、子供の頃から贅沢には無関心じゃなかったですか」
「そうだったな・・・けれどやっぱり、この眼が最大の原因だな」
そう言うと俺は眼鏡越しに軽く眼の部分を叩いた。
「・・・『直死の魔眼』ですね。私・・・兄様が『蒼眼の黒鬼』だったなんて知らなかった・・・だから・・・だから私、以前は兄様にお会いしたいと思っていたけど同じ位・・・怖かった。きっと兄様はこんな世界の事なんて知らないまま、成長なされたに違いない・・・きっと汚れた私なんか見向きもしてくれないに決まっている。だったら会わないままにした方が良い・・・そういつも私の心がそう囁いていたの・・・」
「でも驚いたのは俺も同じだ。沙貴お前が『破光の堕天使』だったなんて・・・」
『破光の堕天使』・・・俺が退魔士として有名になる少し前から退魔士の同業者や死徒達で有名だった、ある退魔士の異名の事だ。
噂では黒き光に触れた瞬間、相手は粉々に破壊されると言う事だった。
「私は自分の能力を『悪魔の闇』と呼んでいたけど鳳明さまは『破壊光(はかいこう)』と呼んだわ・・・」
そう言うと沙貴は右手だけ包帯を取りその右手を俺に見せた。
日にまったく焼けていない白くほっそりとしたその手からは瘴気の様などす黒い湯気が立ち昇る。
「この状態だったらそれほど被害は無いの・・・」
そう寂しそうに笑うと右手に力を込めた。
その途端、右手はその部分だけ闇に包まれたように瘴気が密集してしまった。
手は輪郭すら見えない。
「こうなると破壊できない物は無いの。何でも破壊し尽くすわ」
今度は一本の包丁を手にするとその黒い瘴気に当てると・・・包丁は砂で出来た玩具みたいに粉となり粉砕されてしまった。
俺が呆然として見ている中沙貴は無言で包帯を再び巻くと荷物を手にして、
「さあ、兄様急ぎましょう飛行機に遅れます」
「ああ・・・沙貴」
「はい?」
「・・・『凶夜の遺産』との闘い、頼りにしているからな」
「・・・はい!!」
もう少し気の利いた言葉が生まれても良かったかもしれなかった。
しかし『こんな能力なんて大した事は無い』とは言いたくなかった。
『自分を騙せない嘘は他人を不愉快にする』
先生の言葉が改めて重く脳裏に響く。
だから・・・せめて俺の正直な気持ちを伝えよう。
しかし沙貴は俺のその一言を聞くとぱっと表情を輝かせて、俺に擦り寄ると、安らかな声で
「やっぱり・・・兄様はお優しい・・・私・・・この力を持った事・・・生まれて初めて・・・感謝します」
「・・・」
「?兄様、どうかなされたのですか?先程から首筋を拭ってばかりおりますが・・・」
「い、いやなんだ、さっきから、誰かに見られている気がするんだよ」
「えっ?ですが私には何も感じませんが」
成田に向かう電車で何度も首筋をさする俺に沙貴は不思議そうに尋ねるが、俺としてはそう答えるしかなかった。
しかし、沙貴が不審がるのも無理は無い。この背筋を凍らせて、粉々に粉砕しかねない圧迫感は俺に集中しているのだ。
それも、この電車に乗り込んだ時からだ。
「きっと遺産との闘いが目の前にしていられますから、緊張しておられるのですよ」
「・・・うーん、少し違うような気もするが・・・まあ、そうかもしれないな」
「そうですよ。でも・・・ご安心ください兄様、私がお守り致します」
そう言うと俺の腕にしがみつくと、今度は泣きそうな声で
「だから・・・だから・・・兄様・・・お願いだから、もう何処にも行かないで・・・ずっと・・・ずっと私のお傍で私に安らぎを下さい・・・そのお願いさえ聞いてくだされば私・・・」
「沙貴・・・」
俺はそう言ったきり俯いて全身を震わせている沙貴の髪を手で梳いてやった。
しかしその途端、ゾクゾクゾク!!
あの悪寒がまた全身に蔓延する。
俺は、首筋を軽くさすると成田に着くまで、このままの体勢でゆっくりと目を閉じた。
それと同時刻、志貴達の乗る車両の一つ前の車両では・・・
「に〜〜〜い〜〜〜さ〜〜〜ん〜〜」
「しーーーーきーーーーーー」
「な〜〜〜な〜〜〜や〜〜〜く〜〜〜ん〜〜〜」
秋葉達の猛烈な殺意が蔓延し、六人が乗った時には何人かがいた乗客も発車と同時に一人残らず姿を消し、そこにいるのは隣の車両の志貴に殺気を絶え間無くぶつける六人だけだ。
「妹、まだ志貴に手を出しちゃ駄目なの?」
「ええ、ここでは兄さんに逃げられる恐れが大きいです。もう少し機会を待ちましょう」
「ですが・・・あの女随分と七夜君に馴れ馴れしいですね」
「そうですね、兄さんもあんな暗そうな女の何処が良いのかしら」
「志貴様・・・」
「大丈夫、翡翠ちゃん。志貴さんには、もう翡翠ちゃんと私しか見えないようなお薬飲ませるから」
「そこ!何よからぬ事言い合っているの!」
しかしそんな中、レンのみが無言で尚且つ他の五人とは違う視線で志貴を見つめていた。
志貴が傍らの女性に向ける視線は、恋人と言うよりも年頃の妹を見るものに近い。
それに考えてみれば、志貴の昨日の仕草には、焦りはあったがやましい部分は何処にも無かった。
ひょっとしたら自分達は考え違いをしている可能性が高いかもしれない。
しかし、それを差し引いても、志貴の傍らに他の女が寄り沿うのはやはり気分の良いものではない。
何よりも完全に誤解している残りの五人にどう説明すればよいのか?
どんな言葉でも全員聞く耳持たないだろう。
そう判断したレンは自分の考えを全員に話す事は無かった。
成田に着いた志貴と沙貴を時代遅れのスパイさながらにかなりの後方から着ける秋葉達六人。
「あっ志貴、ゲートに入った」
「あのゲートは間違いなくノルウェー行きの飛行機が出ますね」
「琥珀チケットは?」
「は、はいー・・・その・・・」
「姉さん?どうかしたの?」
「それが・・・取れたチケットが・・・エコノミーなのですが・・・」
「琥珀!私はファーストクラスと・・・」
「秋葉様それが・・・ファーストクラスのチケットがこの次の便のものなのですが・・・」
「私は別にエコノミーでもかまわないわよ。志貴もエコノミーみたいだし」
「まあ!!兄さん・・・まったく、遠野家の長男としての自覚が・・・」
「秋葉さん、七夜君はもう遠野家の養子ではありませんよ」
「うっ・・・ま、まあ良いわ琥珀エコノミーでも良いからさっさと出しなさい」
「それが・・・」
「今度はどうしたの?」
「はい〜秋葉様がきっとエコノミーでは納得しないと思いましてつい先ほど次の便のファーストクラスに取り替えてしまいました〜」
「妹・・・」
「秋葉さん・・・」
「秋葉様・・・」
「・・・・」
「うううっ・・・」
「それで姉さん次の便は?」
「はい、三時間後と言う事です」
「まあ仕方ないわね。それ位の時間ロスで志貴を追いかけられるなら・・・」
「そうですね。それまでは自由時間としましょう」
「ですが・・・」
「翡翠ちゃん、焦っても仕方ないわよ。ここはゆっくりとしましょうね〜」
こうして七夜志貴は新たなる戦いへと赴いた。
今までの戦いすら生温く感じる史上最悪の死闘がここに開幕となった。
〔能力解説〕
破壊光・・・
七夜沙貴の『凶夜』としての能力。
主には手に力を結集させる事で物の原子単位で分離を引き起こさせる漆黒の光を解放する。
その攻撃力は志貴の『直死の魔眼』に匹敵し、汎用性では『直死の魔眼』を凌駕する。
志貴が『殺す』事に特化された『凶夜』とすれば、沙貴は『破壊する』事を軋間紅摩並に到達させた『凶夜』と呼べる。
憑依・・・
七夜鳳明は魂魄のみとなってから力は肉体=『黒鬼死』のみに集中した為『直死の魔眼』を失った。
その引き換えに彼は補助的な能力を身に着けた。
憑依もその一つで対象の人物に入り込む事でその者の能力の肉体的な負担を肩代わりし軽減させる事が可能となった。
これによって志貴は『直死の魔眼』を今までとは比べ物にならないほど軽い負担で使用できるようになった。
後書き
どうもお久しぶりです。
やっと出来ました『精神遺産』三話どうでしょうか?
かなり志貴達の実力が上がっているが大丈夫なのか?と思いの方もいるでしょうが、今回の敵は半端な奴ではありませんので。
四話から遂に『凶夜の遺産』との闘いを始めますが、四話については章ごとに区切り出して行こうと思います。
また、『遺産』については絶対悪としては書きません。
彼らにも想像を絶する辛苦を受けてこの様な状態となりましたので。
感想お待ちしています。